ホーム > レポート > 【鍋講座Vol. 34】映像翻訳の最前線 ~良い字幕って何だ!?~ レポート

【鍋講座Vol. 34】映像翻訳の最前線 ~良い字幕って何だ!?~ レポート


 昨今の映像翻訳への関心の高まりを、直に体感した昨年5月の鍋講座。私たちの当初の想定をはるかに超える数のお客さんで満員となったアレイホールでは、今まさに大きな変化を迎えつつある映像翻訳業界のこれまでの歩み、そしてこれからの展望を考えるうえで、たくさんの貴重な意見が発せられた。
 あれから少し時間が経ってしまい、既にこの鍋講座について分かりやすくまとめられたレポートもあるので、ここでは、自身も映像翻訳を学んでいる筆者の観点によって、講座の中であった多様な話題から今一度多くの人に知ってもらいたいポイントを選んで、考察してみたい。
【ゲスト】
 赤松立太:映像翻訳者、制作会社パッソ・パッソ代表。1990年、映像制作会社に入社。主に放送用の字幕、吹替え作品の翻訳、制作に従事、海外映像コンテンツの日本語版制作に加えて、国内コンテンツの外国語版の制作にあたっている。映像翻訳者の養成や、字幕制作へのデジタル技術の導入にメーカーと協力、バリアフリーによる映画鑑賞の研究事業メンバーとしての活動など、多方面から映像翻訳に携わる。

【聞き手】
土屋豊(独立映画鍋共同代表、映画監督)
 
【日時】
2017年5月24日(水)、於下北沢アレイホール
【映画製作者にむけて】
 そもそも、この映像翻訳の鍋講座が企画されたのは、とくにインディペンデント映画の制作者に、海外展開する際に作品につける字幕の制作について知りたいという希望が企画チームにあったからだ。例えば海外の映画祭に出品するときに、英語字幕をつけないといけないことは誰でも分かっているものの、具体的にどのように字幕をつければよいか、その制作プロセスも含めて、きちんと理解している制作者は案外少ない。できるだけ費用を抑えるために、英語が得意な知り合いに頼んで字幕をつけてもらうといった話しもちらほらと聞く。しかし、それでよいのだろうか?字幕は、外国語が得意であれば作れるといったものではない。何より翻訳者の外国語力以上に自分の言語での表現力がものをいう、複雑なものだ。作品が海外に出たとき、その作品を外国人が理解するために、絶対必要なのが字幕なのだから、字幕は作品の評価を大きく左右すると言ってもいい。良い字幕は、作品をより一層輝かせることになる。
 では、良い字幕をつけるにはどうすればよいのか。少し費用をかけても、専門の翻訳者、制作会社に頼むことが一番。予算が少なくとも、熱意と作品の良さがあれば、相談に乗ってくれるところもあるだろう。一方、映像翻訳を依頼する際、映画制作者にぜひとも肝に銘じておいてほしいことがある。それは、きちんとした完パケを提出してほしいということだ。様々なインディペンデント映画の字幕制作も手がけてきた、ゲストの赤松さんが言うのは、字幕は映画制作における「最後の仕事」であり、直接観客と向き合う作業であるということ。原則として、字幕は完成された映像をベースにして字幕は作られる。だから、翻訳作業を始めた後に、編集が加わったり、音声が修正されたりすると、作業プロセスが川下であるがゆえに作業の手間が倍増することになる。聞き手の土屋さんと何度か仕事をしたことがある赤松さんは、土屋さんは必ず完成した作品を提供し、変更もないので、仕事がやりやすいと言っていた。
 もう一つ、制作者に向けた赤松さんの言葉で印象的だったのは、海外語版の制作は「目的意識をはっきりさせて」というものだ。つまり、その作品を、今後どのように展開していきたいか。海外の映画祭で賞を狙うのか、それとも特定の人に限定的に公開するのかによって、翻訳の戦略も変わってくる。翻訳者や制作会社に丸投げするのではなく、彼らと一緒に作品の展開を考えることが重要だ。
 また、具体的な制作作業の話では、どの言葉に字幕を当てるかを決める「箱書き」という作業があるが、とりわけ長台詞や複数の人物が同時多発的に話している場面、ドキュメンタリー作品では、こうした作業が字幕にリズムや表現のメリハリをあたえ、作品の「演出」につながることを確認した。翻訳者が素晴らしい字幕を書くには、何よりもその作品を理解することが重要だが、そのために映画制作者もできるだけの協力をすべきだろう。国際的なセールスでは話者と大まかなシーン説明のあるダイアローグリストも作品販売のための基本的な素材となっていて、その良し悪しは制作の質を反映している。多くのハリウッド映画などでは、劇中のセリフや状況についての翻訳者向けの注意事項も記されているそうだ。

【映像翻訳の悲喜こもごも】
 日本における映像翻訳の発展を振り返った今回の鍋講座だったが、やはり気になるのは最新の業界事情。お話の中で、たびたび話題になったのが「黒船」ネットフリックスの影響だ。20世紀の末からも、BSやCSのスタートなどさまざまな時代の流れに沿って、映像翻訳の仕事は増えた。そしてネットフリックスなどの動画配信サービスの普及でさらに仕事量は激増している。でも、仕事が増えたからといって、映像翻訳者の生活が楽になっているかというと、決してそうではないらしい。提供される作品量が増えても、それに応じてコンテンツの取得と制作に当てられる費用が増大するわけではなく、さらにその中で映像翻訳に割かれる予算の総額は増えていないし価格は下がっている。仕事が増えて、たくさんの翻訳者が必要とされる一方で、価格競争が起きて利益分が少なくなっている。赤松さん曰く「少ないパイをたくさんの同業者で取り合っている」ような状況だ。特の配信ものでは苛酷なスケジュールが強いられ新しい翻訳者を育てる余裕もなくなってきている。
 こうした状況はどうすれば改善されるのか。映像翻訳を学んでいる駆け出しの身の筆者に、答えのようなものをだせるはずもないが、講座を聞いていて、世間が映像翻訳をもっと認めて、より多くの予算を割くようになればと単純に考えた。発注者は、翻訳の制作プロセスをきちんと理解した上で、妥当な納期を設定して、それなりの対価をきちんと支払うこと。翻訳者は、無茶な案件をたくさん引き受けて、自分だけではなく、業界全体を疲弊させることをしないこと。当たり前のようだが、これがきちんと達成されて、映像翻訳がもっと認知されれば状況はよくなるだろう。ちなみに、赤松さんの話によると、外国のコンテンツを日本語へ翻訳する場合、個人翻訳者への報酬はトップで10分3万円ぐらいが一つの目安。これが1万円を切ると、それだけで生活できるレベルにならないという。

【字幕という「矛盾」】
 それにしても、映画字幕というのは、つくづく「矛盾」を抱えたものだなと、この鍋講座を聞いて筆者は感じた。字幕は、映画をより多くの人に伝えるためになくてはならないもの、とても大切なものである一方で、基本的に字幕は「目立ってはいけない」ことを信条としているからだ。多くの字幕翻訳者が語るように、良い字幕とは、映画を見終わったあとに、「あれ、字幕ついてたっけ?」と思わせるような、自然で、映像を支えるためのものでなければならない。だけど、その字幕がなかったら、映画は理解できない。
 「全ての字幕は意訳である」と赤松さんは言ったが、字幕は限られた文字数の中でいかに映画を伝えるかの格闘である。例えば最近は、DVDで吹き替え版と比べながら、字幕との相違点を指摘する無茶なクレームが増え、それを真に受けて、本来別物であるテクニックを駆使して成立している翻訳に対して無意味な整合性にこだわったり、一般的な外国語への習熟度が上がったこともあるのか、原文に忠実に多くの情報を伝えようとして字幕の文字数が増えて読みづらくなる傾向が強まっているらしいが、今回の講座を聞けば、それがいかに字幕文化を破壊するかが分かるだろう。字幕は、文字をそのまま訳すのではなく、台詞の奥にあるメッセージを映像のリズムにのせて、送り出さなくてはならない。そのために、日本語の言葉のプールを広げておくこと、そして優れた映画をみて、映像の演出構成やそのセリフまわしの妙を学ぶことが大事だ。
 状況は苦しいが、映像翻訳に希望が持てるお話もあった。Q&Aで、聴覚障害者のために、音楽などを字幕で表現する試みについて質問が出たときだ。赤松さんが、音楽を字幕で表現するか否かについては、ろう者の間でも意見が分かれるところだと述べたけれど、こうした課題は映像翻訳がこれから解決すべきことであるし、映像翻訳にしかできない仕事があるということだ。この鍋講座で、より多くの人に映像翻訳の実態と、その意義が伝わったらよかったと思う。そして、今度映画を見るとき、つくるときに少しでも、そこについている翻訳を気にしてもらえると嬉しい。(文責:新谷和輝)

※当日の記録動画
© 2020 独立映画鍋 All rights reserved.