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大阪アジアン映画祭連携企画 トークセッション「アジアに映画は足りているか? 関西から考える映画の一極集中」レポート


【開催概要】
 都市圏とそれ以外の地域における文化格差について考えます。
 東京では毎日のように世界中の映画が上映され、ミニシアターでは連日のように若手のインディペンデント映画が満席になるのを見ていると、日本映画が活況のうちにあるような気持ちになります。では東京以外の地域ではどうでしょうか? どの国においても映画や芸術文化が都市圏では華やかに発信され鑑賞されても、地方においてはそうでもないという話はよく耳にします。
 今、年間600本以上の国産映画が公開され供給過多とも言われる日本において、本当に映画は「足りている」と言えるのでしょうか? 日本の外の、アジア各国においてはどのような状況なのでしょうか? 文化格差についての認識を新たにし、進むべき道について考えるトークセッション。
 一部では、本年1月に京都にて立命館大学創立10周年事業として開催されたシンポジウム「地域から次世代映画を考える」の報告を運営当事者よりお聞きし、二部では大阪アジアン映画祭参加監督をお招きし、映画の地域格差についての知見を共有します。
 
第一部:京都シンポジウム「地域から次世代映画を考える」報告
ゲスト: 川村健一郎(立命館大学映像学部教授)・歌川達人(映画鍋メンバー・映画監督)・深田晃司(聞き手・映画監督)
第二部:アジアに映画は足りているか?
ゲスト:リム・カーワイ(映画監督『どこでもない、ここしかない』)・川村健一郎(立命館大学映像学部教授)・深田晃司(映画監督)
 
【詳細】
日時:2018年3月17日(土) 開場14:00 開始14:30(終了予定 16:45)
会場:関西大学梅田キャンパス 4F 多目的室(KANDAI MeRISEラボ) 大阪府大阪市北区鶴野町1番5号
料金:一般1,000円 大阪アジアン映画祭半券提示500円 独立映画鍋会員500円
協賛:関西大学梅田キャンパス
連携協力:大阪アジアン映画祭 http://www.oaff.jp/2018/ja/index.html
主催:NPO法人独立映画鍋
【登壇者プロフィール】

川村健一郎


:1970年生まれ。1995年から川崎市市民ミュージアム映画部門に勤務。フィルムの収集、展覧会・上映会の企画運営を手がける。2006年退職。2007年から立命館大学映像学部に勤務。

松村厚


:1962年生まれ。関西学院大学映画研究同好会。元第七藝術劇場支配人。現在、フリーの映画宣伝。映画『ばかのハコ船』(製作補)、『リアリズムの宿』、『ハッピーアワー』、『菊とギロチン』(以上、出演)。

リム・カーワイ


:1973年マレーシア生まれ。大阪大学基礎工学部電気工学科卒。通信会社に6年間勤務した後、北京電影学院監督コースに入学。合作映画の助監督やコーディネーターを経て、自主映画『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』(2009)で長編監督デビュー。その後、“シネマ・ドリフター”の異名をとり、世界各国で制作活動を行っている。今まで『マジック&ロス』(2010)、『新世界の夜明け』(2011)、『恋するミナミ』(2013)、『愛在深秋』(2016)、『どこでもない、ここしかない』(2018)、計6本の長編を発表した。

深田晃司


:映画監督。80年生まれ。映画美学校フィクションコース終了後、劇団青年団の演出部に入団。その後、中長編6本を監督。『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞を受賞。最新作はインドネシアと合作したオールインドネシアロケによるオリジナル長編『海を駆ける』。今年5月公開。

歌川達人


:ドキュメンタリー映画監督。立命館大学映像学部卒。在学中、関西の劇場や撮影所でアルバイトをしながら自主映画を制作する。現在はフリーランスでドキュメンタリー映画制作や上映活動など、幅広く映画に携わる。
1/27に京都で開催された「地域から次世代映画を考える」の開催概要については、下記のウェブサイトを参照ください。
http://eiganabe.net/kyoto/
 

第1部【京都シンポジウム報告】


独立映画にはどういった公共的な価値があるのか?作家たちは自らの制作活動をどう社会へ発信すべきか?



最初に、京都企画第一部「映画はどこでもつくれる!か?〜地方で映画を作るわけ〜」開催の経緯について企画者の歌川から報告と説明があった。「日本の独立映画は海外と比較すると予算規模が少ない。それは制作に対する助成金が少ないことが理由の一つであるのだが、ではどうすればその状況を打破できるのか?その第一歩として必要なことは何か?それは、独立映画を制作する作家自身が自らの制作活動にどういった公共的な価値があって、なぜその活動が公的な資金によって助成されるべきなのかを議論し、社会への説明責任を果たしていくことではないか。」そういった意図から、本企画が立案されたとのこと。
次に、韓国における多様性映画の定義と過去に映画鍋で行われたシンポジウムで出たインディペンデント映画の定義に対する意見が紹介された。
※当日配布資料(1)
/wp-content/uploads/2018/04/8cb1c2e8e297dac0df0751d8415c2d60.pdf
以下は、1/27の京都企画で印象的だった2つの意見。
・「独立映画とは、『労働』としてではなく、『やらなければいけない仕事』として作られた映画なのではないか」佐藤零郎監督(映画『月夜釜合戦』)からの意見。
 
・「誰も自主映画を作りたいのではなく、自分たちは映画を作りたいだけなんだ。自主映画と呼ばれるもので規定されるのは、内容ではなく、作り方や見せ方で定義されるものなのだ。」第二部で土田環さん(早稲田大学講師)によって紹介された長崎俊一監督の言葉。
インディペンデント映画や多様性映画を言葉で定義すること自体には、本質的な意味はないのかもしれない。しかし、効率的に支援事業を受ける枠組みを作るためにも、明確に自分たちが制作する映画の価値を発信していくことが求められているのではないだろうか。
   
歌川:「私の司会が拙かったということもあるが、作り手たちは自ら制作した映画を独立映画や多様性映画という形でカテゴライズされること自体に抵抗がある。なので、作り手側から自分たちの映画を定義していきましょうと議論することは難しい。しかし、一方で制作者に対する政策支援の枠組みを作るという意味では、『自らの制作活動がどのような社会的な意義があって、なぜ公的な資金によって助成される必要があるのか?』を発信していかなければいけない。そのねじれをどう解消していくか?課題が見えたので、個人的には非常に有意義なイベントであった」。
独立映画鍋では、今後も様々な地域で映画を制作する作り手たちとシンポジウム等で議論し、「自分たちが作る映画はどういった公共的な価値があるのか?」議論を深め、より映画の公共性を社会に受け入れてもらえるような活動を継続していきたいという意見が歌川から述べられた。
   

諸外国と違い、劇場への助成金がない日本


京都イベントの第二部「上映者の視点」で提示された「次世代映画ショーケース」の取り組みについて詳細な説明がなされた。
※配布資料(2)
/wp-content/uploads/2018/04/180317_jisedaisyo-ke-su.pdf
元・第七藝術劇場支配人の松村厚さんから、配布資料の説明と「次世代映画ショーケース」に対する意気込みが語られた。「関西に限定せずということで、名称を『次世代映画ショーケース』とした。自主制作・自主配給のインディペンデント映画の作品は関西地域のミニシアターでは興行的に壊滅的であり、ある種の使命感がないとやっていけない実情がある。そういった状況を『次世代映画ショーケース』という枠組みで打破していきたい。」

  

今後のポイントは、『文化政策の対象となり得るような枠組みを作れるかどうか?』


川村:「独立映画の制作側が文化支援の対象になっていないことと同じように、上映側は蚊帳の外に置かれていた。まずは、そこを問題化しなければいけない」。
深田監督:「日本の文化行政による助成金のバランスは制作側に傾いていて、上映側に行き届いていない。韓国やフランスは、企画開発・制作・上映と満遍なく支援がなされているが、日本は「開発・上映」には支援が少なく、「制作」にばかり落ちる傾向がある。その理由として、文化庁側の意見としては成果物至上主義であるため、「開発・上映」には助成しづらいということを聞いた」。
川村:「文化庁側の意見も一理あるが、一番の問題は上映者側が声を上げていない。政策対象を見い出し辛いというところにあるのではないか。近年は、自主制作自主配給の映画が増えている。意欲があるから拾いたいのだが、興行成績は他のインディペンデント映画に比べると半分の興行にしかならず、劇場運営を圧迫している。これは劇場経営に関わる構造的な問題なので、今後これをどう解消していくかが今後の課題である。」
  

なぜ「次世代映画ショーケース」という枠組みを作ったのか?劇場への公的支援がない日本でやれること



川村:「現行の上映支援に関しては、映画祭等の支援という枠組みの中の『日本映画上映支援』しかない。単発的なイベント的なものではあれば支援してくれる枠組みがあるので、現状ではそれを活用できるような枠組みを作ろう。そうなった時に、『映画祭』や『ショーケース』という枠組みや、『実行委員会』という組織などが必要になってくるので、それを組織して立ち上げようというのが、『次世代映画ショーケース』企画の意図である。
今後の展望として、公共性のポイントとなるのは多様性だと思う。それは選択肢が1つや2つだけではない環境、多様な選択肢のある環境を地域の中に作るということ。それは現在の納税者に対する説明責任もあるが、将来の納税者に対する説明責任もある。我々の世代で周りを根絶やしにして、1つか2つしか選択肢がない環境を将来の人たちに残すという選択を今すべきなのか。次世代映画ショーケースは、地域の映画に限らず様々な文化関係者と映画を共有できる場になればと期待している。そういう還元の仕方をしないと持続可能な形にならないのではないか。東京在住の監督をゲストでお招きし、それで終わりという形では未来はない。地元の人たちが、観客として映画を面白がっていただいて共有していける、そういう場を作っていっていただくきっかけになればと期待している」。
松村さんからも「次世代映画ショーケースを、今後は制作者と上映者がもっと交流できるようなスキームにできたら」という前向きな意気込みも語られた。
2019年2月に、<次世代映画ショーケース映画祭(仮)>を開催予定とのこと。今後の活動に注目したい!
 

第2部【アジアに映画は足りているか?】


第二部では、「アジアに映画は足りているか?」というキーワードから、国際比較によって日本映画が抱える問題が浮き彫りとなっていった。
  

各ゲストが実感する地域での映画上映の実情



大阪のゲストハウスを拠点に世界を旅しながら映画を製作するリム監督曰く「大阪と東京では動員がまるで違うので、格差を感じた。それは、ビジネスや映画以外の文化イベントに関して同じことが言える」。
ゲスト兼司会の深田監督も地域の映画上映環境の貧しさを訴えた。「自分も会津若松や岡山など地域の学校で映画教育事業に参加していて実感するのは、みんな映画をあまり観られていない。まず、地域に気軽に行けるような映画館がないし、レンタルやテレビ放映でも見られる映画には限界がある。そういう意味では、地域に映画の多様性は薄くなっているというのを実感する」。
川村教授からも「近年は、映画産業の構造自体も二極化している。なぜ二極化したかといえば、出口がミニシアターとシネコンで二極化したから。シネコンも過当競争の時代に入り、一部のシネコンは興行性の高いミニシアター系の作品を上映する流れも出てきていて、益々ミニシアターは興行性の高いインディペンデント映画に出会えなくなっている。一方で劇場という箱はあるから、大量のインディペンデント映画が流れ込んできているというのがここ10年、15年ぐらいの流れではないか」と意見が述べられた。
  

大手映画メジャー会社によって寡占状態に陥る日本映画界



深田監督から現状の日本映画界が抱える構造的な問題に対する指摘がなされた。「年間1000億円前後ある日本映画の市場の約8割を、大手数社が寡占している。その中でも、多くの割合を東宝が占めている。それは東宝が企業努力によって優れた企画を生み出しているということももちろんあるけど、一方で東宝のみが優れていて、他の映画会社やインディペンデント映画関係者の企業努力が足りていないだけかといえば、そういった単純な問題ではない」。1940年台前後のアメリカの映画産業を例に挙げながら、「かつてハリウッドでもそういった時代があった。当時、ハリウッドの興収全体の8割を大手5社が占めていたが、それが独占禁止法違反に抵触し、解体させられるということが起きた。結果的に、東宝におけるTOHOシネマズのような、大手の映画製作会社が映画館チェーンを持つことが禁止された。なぜなら、映画を製作する最大手の映画会社が劇場網を寡占的な規模で持っていること自体が市場での自由競争という基本的なルールに反すると考えられたから」。
  
それを受けて川村教授から「2003年に文化庁が『映画振興に関する懇談会』を行い提言がまとめられた。今もなお文化庁が行っている文化支援のあり方は基本的にはそこの枠組みから外れていないのだが、そこで掲げられている理念として重要な点は『製作と上映の自律的なサイクルを回せるようにする』ということ。しかし、それをちゃんと体現するような政策支援になっていないじゃないかと。上映によって資金を得てそれを次の製作に還元していけるサイクルが理想的であり、それは確かに大手メジャー会社が実現しているかもしれないが、それが寡占の会社だけに認められる構造では、そもそも文化庁の支援政策にならないのではないか。観客の減少が想定されるこれからを考えると、製作への助成だけではサイクルが回らなくなるのではないか」と、鋭い指摘がされた。
   
深田監督も「自律的に製作と上映が成り立つのが理想の姿だという文化庁の理念は、半分正しくて半分間違っている。集客による経済性のみで自立できる作品だけが生き残れる社会というのは、文化的には貧しく、多様性にかける社会だからだ。経済的同時代的な価値だけが、文化の価値ではない。それだけを指針にしてしまうと、共感しやすい作品、分かりやすい作品、あるいはマジョリィーに訴えかける作品が生き残りやすく、逆にマイノリティの価値観を描いたような作品は生き残りづらくなる。重要なのは商業性の高い作品と低い作品が共存できる仕組みが作れるかどうかだ。・・・そもそも映画祭というのは、20世紀半ばにすでに世界を席巻していたハリウッド的価値観、経済的な価値が最優先される状況に対する、ある種のカウンターであった。つまり興行という物差しだけでは測りきれない映画があるから、それとは別に審査員による賞というかたちで価値を見出すことで、作家性の強い映画、商業性の高くない映画を後押ししてきた。・・・世界の映画業界の視点で見たときに、日本映画は日本語であるという時点でマイノリティである。私たちは、マイノリティの文化がどうやってマイノリティのまま生き残っていけるかを考え続けなければいけない。しかし、日本は『ゴダールの映画がどうすればディズニーの映画のように当たるようになるか』と考えしまうが、欧州は『ゴダールがディズニーのように当たる必要はない。ゴダールがゴダールのまま作り続け、観たい人に届けられるようにちゃんと環境を整備しよう』と考えている。そこに、多様性に対する考え方の根本的な違いがあるのだと思う」。
  
リム監督「日本の製作本数は増えているが、マーケットが小さくなっている。映画は足りているが、足りてないのは観客数だと思う。アジアに目を向けると、母国マレーシアでは映画は全然足りてない。マレーシアで商業映画は年間で40本ほど、自主映画だとおそらく10本程度ではないか。マレーシアには映画館はいっぱいあるのだが、そこで上映されているのはハリウッド映画や香港映画である。ハリウッド映画に比べると自国(マレーシア)の映画は動員が厳しい。マレーシアの人口は3000万人だが、年間視聴本数は日本より多い。20年前、日本に来て一番驚いたことは、日本の人達があまりに劇場に足を運ばないということ。なぜなら、マレーシアにいた頃は自分の周りの人は少なくとも週に一回映画を観る習慣があった。これはマレーシアだけではなく、タイ・シンガポール・香港でも映画を観ることが娯楽として習慣になっている。日本には、映画以外に娯楽が沢山あるからかもしれない。日本人は映画を観に行くよりも、居酒屋で友達と飲んでいることが多いから」。
  
深田監督「フランスの国民一人当たりの映画視聴の平均は、年間3.8本前後。数年前に、韓国が平均4本以上となりフランスを超えた。日本は平均1.3本程度で大きな差がついているが、一方でフランスは年間で新作が200本ほど作られ、日本では600本作られている。このデータを見ても、日本映画業界が非常にいびつな状態であることがわかる。これを打破するためには、映画教育に力を入れて観客を育てて行く必要があるのではないか。また、助成金で成り立っている公共性の高い映画館がフランスにはある。これは、『どの地域に生まれても優れた芸術に触れられるのは基本的な権利である。だからそれは、公共的にサポートされるべきだ』という考え方によって、支えられている。水や電気、道路を整備するのと同じ感覚で、芸術文化のインフラも育てていく。美術も演劇も映画も、地方であってもきちんと多様で最先端のものに触れられる環境が整えられている。その考え方は、日本の文化政策を考える上で非常に参考になるのではないか」。
  
リム監督「観客が映画を観る習慣ができなければ、この状況を打破するのは難しいのではないか。地方に多く存在するシネコンという上映環境をもっと上手に使って、インディペンデント映画が上映されるように力を入れていけば良いのではないか」。
  
ここで、会場にいらっしゃったマーク・ノーネス教授(ミシガン大学・ドキュメンタリー映画研究者)からアメリカの劇場文化が紹介された。「アメリカと日本の状況を比べると、まるで違っている。日本映画の将来を心配してしまうのだが、日本の劇場文化に対して言いたいことが2つある。1つは、インディペンデントの上映文化が非常に孤立されてしまっている。そして、もう1つは映画館が入りづらい。アメリカの場合、私の出身ミシガン州では様々なアート系映画があって、例えばミシガンシアターという1800人収容の無声映画時代からのアート系映画館がある。ミシガンの北部では、マイケルムーア監督のホームタウンTraverse Cityで潰れてしまった映画館を町の人間が整備して復活させた。マイケルムーア監督が大きな支援をしたのだと思うが、運動を作って色んな戦略でそれを守り、アート系映画館とした。デトロイトでは、廃墟を購入した団体が映画館を作った。この3つの例で特筆すべき点は、それぞれ地域とのコラボレーションがものすごく複雑で多様性に満ちているということ。例えば、ミシガンシアターの場合、シアターのビルを市役所が買った。市役所が劇場を買って、運営をするNPOに貸しているのだが、毎年の賃料が1ドルです。その代わりに、町の人間のためにプログラミングをやらなければいけないという論理。そして、各劇場の周りにはコミュニティがある。例えば、人員が必要になったらボランティアが集まったり、メンバーの制度に多様性があったり、映画だけではなくコンサートも行うことで、町の人に映画館へ通う習慣を作っている。また、各劇場が大学と非常に深い関係を持っているのだが、それに比べて日本の大学は本当に失敗していると思う。アメリカでは大学の中にシアターがあって、映画専攻ではない学生にも映画の文化を共有している。また、日本のミニシアターという表現がよくない。良いイメージがわかない。そして、日本映画はチケットが高いので、映画館に入りづらい」。
  
リム監督「映画を観る土壌をどのように作るか?まず、映画を見る習慣を日常の生活に取り入れたほうがいいだと思う。映画を見る習慣を育てるためには助成、教育、行政などの問題だけじゃなくて、交通、劇場のアクセスしやすさなどの問題も考える必要があるだと思う。特にこれからNetflixのよう媒体が益々普及されていく中、日本だけではなく、全世界でもこれは問題になってくると思う」。
  
マレーシア、アメリカ、フランス、韓国と比較すると、日本の映画文化の将来には非常に大きな不安を感じてしまう。しかしながら、問題点をただ共有して終わってしまうのではなく、問題解決に向けた具体的なアクションとして発起された「次世代映画ショーケース」には、非常に大きな期待と共に勇気を与えられる。今後も次世代映画ショーケースの活動と日本の劇場文化に注目していきたい。

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(作成:歌川達人)
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