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【レポート:鍋講座vol.27】初めてのドキュメンタリー映画 企画から劇場公開までを全解剖! ~『Behind “THE COVE”』八木 景子さんに聞く~

ゲスト 八木 景子(合同会社八木フィルム代表/独立映画鍋会員)
司 会 土屋 豊(映画監督『タリウム少女の毒殺日記』ほか、独立映画鍋共同代表)
開 催 2016年2月3日(木) 19時~@下北沢アレイホール
「ビハインド・ザ・コーブ」ができるまで~時系列
-企  画 2014年夏
-取材開始 2014年夏
-撮影開始 2014年夏
-撮影終了 2015年2月
-編集開始 2015年2月
-完  成 2015年7月
-試  写 2015年8月~
-映画売り込み 2015年8月~
-モントリオール世界映画祭での上映 2015年9月
-K’s cinema公開決定 2015年11月下旬
-自民党本部での国会議員試写 2015年11月
-外国人特派員協会での上映&記者会見 2015年12月
-K’s cinema公開初日 2016年1月30日

企画~原動力は“怒り” 「私が正しく伝えたいと思った」


 もともとアップリンクの「ドキュメンタリー制作上映ワークショップ」を受講していた八木さん。アップリンク主宰の浅井隆さんに迫るドキュメンタリーを制作しようと動き始めたのはいいものの、肝心の浅井さんのインタビューがなかなか撮れないでいた。取材が思うように進まず、この企画は暗礁に乗り上げてしまう。それが2013年のこと。浅井さんをインタビューすることの難しさで他の人へインタビューすることに鍛えられたという。
 月日は流れ、ひょんな事から八木さんが「鯨」と出会ったのは2014年。日本による調査捕鯨が国際捕鯨取締条約に違反しているとして、オーストラリアが国際司法裁判所(ICJ)に提訴。日本が主張してきた、科学調査の為、わずかしか捕獲していない調査捕鯨が「商業捕鯨の隠れ蓑」と否定され判決で敗訴というニュースで知る。「そんな少ししか獲っていなくて訴えられて、しかも敗訴されちゃんだ!と。私は曲がったことが嫌いな性格なので、そのときはかなり腹が立った。日本がバッシングされているのに、日本政府(さらには外務省)は何もしない。歪んで捕鯨が伝えられているから私が正しく伝えたい、と思った。」なんと八木さん、この時点では「THE COVE」も見ていなかったので、まさか「THE COVE」の反証映画を作るということを想像もしていなかった。

取材・撮影~企画書も構成もないけど、勢いと熱意で突き進む!


 自然な流れで映画を作ることになった八木さん。リサーチを進めて、最初の取材対象者となったのはアメリカの人気テレビ番組「WHALE WARS」のカメラマンであった、現在、和歌山大学准教授のサイモン・ワーン氏だった。「WHALE WARS」と言うのは“シーシェパードが日本船にアタックする、正義ぶったドラマとして成立している番組”と八木さん。和歌山大学に電話をかけ、ワーン氏の連絡先を聞き出すと早速取材を打診して、意外とすんなり決まったと言う。
 そして取材当日。ワーン氏に会いに和歌山まで出かけたところ、ワーン氏から「今日は今から岡山に行く用事があるんだけど」とまさかの展開に。結局、彼と一緒に岡山のノートルダム大学まで一緒に車で向かい、車中での取材決行となったそう。
 ワーン氏の取材のあと、「THE COVE」の舞台となった太地町を訪れる事を勧められ八木さんは初めて太地町に訪れる。このとき八木さんはシーシェパードが太地町に毎年、現れていることを知らなかった。そんな情報を現地で知り、彼らを記念がてらに撮影してから東京へ戻る予定にしていた。しかし、反捕鯨団体からカメラをグイグイ顔に押し付けられたのを機に太地町に留まる事を決心、映画製作への始まりとなった。地元の漁師、反捕鯨活動家、メディア関係者・・・混乱する現場で、八木さんは「THE COVE」の出演者でイルカ保護活動家のリック・オバリー氏に遭遇する。「(そこに)いたから取材を申し込もうと追いかけたら逃げられた。それで、いじけて隣の町でうどんを食べてたんですよ。そしたらいきなり彼がお店に入ってきた。こんな偶然あるんだ!って、インタビューのアポをとりました。」
 取材や撮影のため、八木さんは太地町に予定外にも約4ヶ月間滞在することになった。使っていた撮影機材は市販のビデオカメラ。オートで撮影していたため、光の調整など技術的な不安は常にあったと言う。撮影状況を見ていた芸大の学生から「“八木さん、本気で映画作る気ですか?”と言われたことも。一番肝心なシーシェパードのリーダーを撮るときは必ずボケた。普通だったら使えないけど・・・リーダーのコメントが重要だったから使っています。」
 リック・オバリーのインタビューを撮って勢い付いた八木さんは次へと突き進む。「構成とかはなかったけど、リックを撮ったから次はルイ・シホヨス(「THE COVE」監督)だな、と。ウェブサイトから直接コンタクトしました。 “「THE COVE」の中の事実を知りたい。あなたにとって「THE COVE」は、もうどうでもいい(映画)なら別にいいけど、もしまだ関心があるなら”と申し込んだ。インタビューを断られないように挑発的なメールだった。そうしたところ1分以内に返事がきて、来週の何日にOK、と。」 リック・オバリーに続き、1週間後にルイ・シホヨス監督のインタビューを決行。 「この2人のインタビューが撮れたなら映画を作るしかないかな、と思った。」
 とんとん拍子に進んだ印象もあるが、その裏で八木さんは貯金していた400万円をこの作品に費やしている。また、家族からの冷たい視線に耐え、「(家の中で編集の居場所を確保するために)竜田揚げを作ったりして、鯨の魅力を伝え続けました。」とのこと。

編集・構成~恩人ラッセルとの出会い


 ドキュメンタリー制作は伝えたいテーマや強い思い、ある程度の技術があっても、ひとりで最後まで完成させることは非常に難しい。ファシリテーターの土屋さんも「ドキュメンタリーは編集と構成が一番大変」と言う。八木さんは基本的には編集も構成もひとりで進めてきた。そのため、ビデオカメラからデータを移行させるときに、かなり貴重な素材をいくつも失くすというアクシデントも経験している。
 そんな中で、Tokyo Docsで出会った翻訳家で通訳のラッセルさんが大きな役割を果たす。「翻訳とナレーションをお願いしたラッセルがもともとプロデューサーだった。最初の編集の構成は、“Aさんのインタビューを続けて10分”、とか束でゴソっと編集していたけど、自分でも眠たくなるくらい面白くなかった。それを、ラッセルが色々アドバイスをくれて、音楽も人を紹介してくれたり。彼がいなかったらこの映画は出来なかった。」 最終的には完成前に何人かに見てもらい、意見をもらったことでとブラッシュアップしたと感じているようだ。

完成!映画祭・劇場公開へ~思いついたらすぐ行動!恐れ知らずの新米映画監督


 そうしてドキュメンタリー映画「ビハインド・ザ・コーヴ~捕鯨問題の謎に迫る~」は2015年7月に完成する。「やっとできたー!と思って、映画祭リストを見たらモントリオール世界映画祭の締切がすぐだった。で出してみたら、選ばれました。とにかくすぐにエントリーできる映画祭を探しました。」ツテも無い中で、インターネットから普通に応募し、初めての作品でみごと海外映画祭出品の快挙。2015年8~9月に開催された同映画祭までは、ポスターなどの素材を準備することに追われたと言う。
 が、ここで仰天情報が飛び出す。なんと八木さんは2015年の5月にカンヌ国際映画祭に参加していたとのこと!「5月の段階で映画が完成したと思っていた。だからカンヌのマーケットに乗っけて売り込もうと思って。」誰に助言を受けたわけでもなく、自らの意向で、カンヌまで映画を売り込みにいく・・・。恐れ知らずの新米映画監督!ここでも八木さんの行動力とフットワークの軽さが際立っている。カンヌで出会った大手映画会社の社長から、捕鯨の問題は海外展開しにくい、と聞き、「自分で切り開くしかない」と決意したと言う。
 公開する劇場も決まらぬまま思いつくまま、まず行ったのがマスコミ試写会。通常、試写会は劇場公開が決まってから行うもの。「8月7日にマスコミ対象の試写会をしました。劇場決まってないのになんでやるの?とみんなに言われたけど、私としては“モントリオールで選ばれました!”という試写会。アップリンクで、30人位の関係者が来ました。」
 メディアのリストは?と土屋さんが聞くと、「水産庁の記者クラブに投げ込みました。あそこは誰が行ってもいい。それだけで30人来たんです。」この試写会で、海外の大手メディアにも情報が一斉に流れたと言う。「映画業界の中では劇場の公開の日取りが決まってから試写を一般的には行う。この慣例を知らなかったから逆に良かった。業界の宣伝に携わる人だったらやらないですよね、こんなこと。」日本のメディアはモントリオール世界映画祭の開催に合わせて、8月下旬に取り上げられた。
 モントリオール世界映画祭では自前で通訳を手配し、現地でのQ&Aに挑んだ。予想していた反対捕鯨活動家たちの妨害もなく、温かい拍手と感想をもらったと言う。

 劇場公開に向けては、アップリンクのワークショップで知り合った仲間とともに、首都圏の単館系映画館をひとつひとつピックアップし、一軒一軒電話をしてDVDを送付した。その間、東京の自民党本部で国会議員を対象とした試写会も行ったという。これは公開が決まる前の出来事で、自民党としては初の試みだったようだ。外務省や警察関係者も来場し、約600人が参加した。
 政治色が強いものは厳しいと断られることもあったが、モントリオール世界映画祭の記事の露出が功を奏し、2015年11月下旬に新宿のK’s cinemaでの公開が決まる。公開までの宣伝期間は2ヶ月。配給・宣伝をプロに委託することも考えたが、費用や効率の問題もあり断念。それまで通り、ワークショップの仲間と手作りで進めることに。そうして公開初日を迎える1月30日の前夜29日未明に、国際的ハッカー集団「アノニマス」により、公式サイトや封切り劇場がサイバー攻撃を受ける。トラブルに見舞われたものの、「THE COVE」配給会社の加藤社長を招いて公開初日は盛況のうち無事に終えることができたようだ。
 その後、会場からは、国会議員試写会の目的や上映料の有無について質問も。個人の衝動で作ったものが政治的に利用されているのでは、という指摘に対し、「利用されてもいいと思います。ある自民党の国会議員に見せたら自分たちの言いたいことを言ってくれた、外交の事があり国が言えないことを言ってくれた、と。この作品は360°喧嘩を売っている。どっちの国がどうこうということではなく日本政府に対しても、何やってるんだ、と。その上で、この映画が議論や対話の機会になればと思っているので、巻き込まれてもいいと思う。」と語った。また、上映料は10万円と暴露。自民党本部には立派なスクリーンとステレオ機材のある会場があるとの情報も飛び出した。

ドキュメンタリー制作の珍道中から学べることは?


 これまでになく、会場から何度も爆笑が起きた今回の鍋講座。ドキュメンタリー制作の珍道中とも言えるエピソードの数々は、八木さんならではの独特なキャラクターによるものかもしれない。ただ、「伝えたい事があって映画を作り始めたら(私のキャラで)なんとなくできちゃった」という訳ではない。伝えたい思いを映像作品にまとめ、海外展開や国内公開を目指していく中で、初めてだからとか、社会的立場が高い、などと言って物怖じせず、」「まわりを巻き込みながら、思いついたことをできるだけやっていく」。できるかどうかは置いておいて、この姿勢には圧巻。八木さんの次回作と更なる珍道中に期待!(レポート:高木祥衣)
※現在、『ビハインド・ザ・コーヴ』はアメリカでの劇場公開に向けた配給・宣伝費の支援を募っています。https://motion-gallery.net/projects/behindthecove
映画公式サイト http://behindthecove.com/
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