ホーム > レポート > 映画上映者の国際交流!(日本編)白熱のシンポジウム・レポート

映画上映者の国際交流!(日本編)白熱のシンポジウム・レポート

 2014年11月23日勤労感謝の日。
 世間では芸術の秋ということで、学園祭や芸術祭、映画関係のイベントが百花繚乱となった秋晴れの祝日に、ドキュメンタリー・ドリームセンター、NPO法人独立映画鍋、KOLEKTIF共催のイベント「映画上映者の国際交流!日本・インドネシア編」の東京編2日目「いろいろな映画の上映振興のために」シンポジウムが、下北沢アレイホールにて行われました。
 様々なイベントが目白押しの中、会場には60名近い聴講者と、様々な職種の映画関係者、インドネシア大使館関係者が詰めかけ、白熱のシンポジウムとなりました。

 インドネシアから来日して、神戸、大阪、名古屋の視察を終え、前日東京アテネ・フランセでの上映ワークショップを終えた、インドネシア映画プロデューサー、メイスク・タウリシアさん、映画ライターであり上映会の主催なども行っているアドリアン・ジョナサンさん、映画祭の企画プロデューサーであるサリ・モフタンさんが、疲れた様子もみせず登壇、日本からは、映画監督の深田晃司さん、映画館ポレポレ東中野の石川翔平さんがゲストとして登壇しました。キュレーター(司会)はドキュメンタリー・ドリームセンター代表の藤岡朝子さん。
 まずはインドネシア大使館の参事官、リッキー・スヘンダールさんのご挨拶がありました。

 続いて、インドネシアの映画興行の現状について、メイスクさんから説明。

「まずはデータからお話します。
 世界中どの国でも映画興行に、メジャーとインディペンデントが共存しています。
 映画の制作の流れから見ていきましょう。インドネシアのメジャー映画は、年間90本~100本画公開されています。インディペンデントの長編映画は年間10本程度です。
 インドネシアではインドネシア映画の配給会社がありません。製作者は映画館に直接交渉に行くことが普通です。私達インディペンデントの製作者は自分たちで映画を配給します。
 インドネシアの映画スクリーン数は900あります。一番大きな劇場ネットワークは「シネマ21」というシネコンチェーンで、次に大きいのは「ブリッツ」、そして今年始まったばかりの会社「シネマックス」という会社です。
 インドネシアでは興収ではなく、チケットが何枚売れたか、という考え方をします。年間平均150万枚のチケット売上があります。歴代で一番成績が良かった映画は、2008年に460万枚という売上を記録した映画があります。
 インディペンデントでは、ジャカルタにあるミニシアター、「キネフォーラム」という1スクリーンの映画館が、唯一のアート系ミニシアターになります。
 映画館ではなく、上映をするコミュニティは全国にたくさんあります。来場者数では、最低1人から最高2500人も観客が集まる上映会もあります。
 映画上映の他には映画祭があります。ジャカルタ国際映画祭、ジョグジャカルタ映画祭、ソロという街で行われている映画祭などです。
 他にもいろいろなワークショップのような事業があります。批評家のためのワークショップや、シネクラブの運営の仕方を学ぶアートマネジメント教室、フィルムを使った映画の制作ワークショップなども行われています。NPO法人で、映画を収蔵する「シネマテーク」というアーカイブ施設がジャカルタにあります。
 メジャーインディーズ問わず映画教育は行われていて、私立大学がジャカルタに2つ、ジャワ島に3つ、それ以外に2つ大学があります。正規のコースではないワークショップも多数あります。」
 続いて、アドリアンさんが写真を見ながら、映画の上映会の模様を説明しました。写真はどれも驚くような様々な場所で、しかも多数の多様な人々がスクリーンに群がるさまを映し出されていて非常に興味深いものばかりでした。

 
「旅をしながらインドネシアをめぐる感じで、いろいろな上映が行われていることを紹介させていただきます。
 まずは商業映画館「シネマ21」グループ。一番大きなシネコンチェーンです。130館、700~800スクリーンあります。1988年から営業しています。次に「ブリッツ」。比較的新しい2000年代に出来たチェーンで、全国12~15館、30~50スクリーンあります。今年に入って出来た「シネマーク」は、ジャカルタにあります。2館で8スクリーン。
 インドネシアでは、映画というのは長編フィクション映画のことを言います。商業公開にあたっては検閲を通さなければいけません。商業映画館にかからない映画はジャカルタにある「キネフォーラム」というアートシアターにかかります。立ち上がりの時に「21グループ」から椅子とスクリーン、上映機材の提供を受けて、地元の自治体が運営をまかなっています。とても特別な場所と言えます。インドネシアで唯一のインディペンデント映画のためのスクリーンです。
 このスクリーン数ではインドネシア3億人の中の8千万~9千万人ぐらいしか映画館で映画を見ることができないことになります。
 さて、映画館がないところでいかに映画をどう映画を上映していくか?
家の玄関先にスクリーンを張って、簡単なセッティングをして、地元の人を呼んで映画を見たりしています。インドネシアでは全国で行われています。

これはジョグジャカルタのカフェで上映されている風景です。ドキュメンタリー映画で、市民に対して軍隊が何をしたか、告発するような内容の映画です。

 上映のあとは通常ディスカッションがあります。作り手とお客さんが対話するのです。

 学習塾のようなところでの上映もよく行われています。

 大学のキャンパスでの上映会の様子です。「アクト・オブ・キリング」の上映会ですね。

 マランというところで数カ月前に行われた上映会に様子です。地元サッカーチームを題材にした映画です。7千人もの人々が集まりました。

 屋内だけでなく、屋外上映も行われています。

町の広場でやったり、これは結婚式の会場に見えるかもしれませんが、実際そういう会社にセッティングをお願いしました。

 野原の中で、周りに何もないところでやったりもしました。

 モスクの前の広場を使った上映会の様子です。この時はたまたま農民についてのドキュメンタリーで、農民の方々が多く見に来てくれました。

 これはジャカルタの様子なんですけども、国営の映画会社の建物の外壁にスクリーンを張ってやりました。車が通っているのが見えますが、ラッシュアワー中での上映会でした。

 マランという場所にある使われなくなった劇場の外で映画の上映を行った時の様子です。

 これはジャカルタのファタヒラ広場という有名な広場です。500人もの人が集まりました。新しく就任した大統領についてのドキュメンタリーを上映しました。


 これは屋外上映で大掛かりな上映イベントの様子です。モナスというジャカルタ市内の場所でおこなった、インドネシア映画を2週間継続して上映するという企画でした。入場料は無料です。


 ラブラバラバという、フィルム素材を使った映画作りを若い人たちに教えていこうという活動をしているところです。会場になっているのは国営の映画会社です。 

 それから批評家を育成するためのワークショップ、映画ジャーナリストを育成するためのワークショップなど、ジャワで何箇所かで行われています。この写真はたまたまジャカルタで行われた時のものです。ビデオレンタルショップで行いました。

 これはソロ市で行われた上映で、家を借りて行われたワークショップです。

 これは東ジャワで行われた批評家を育成するワークショップです。イスラム教の学校を借りて行いました。
  これはコミュニティシネマ・マネジメント、上映者達のマネジメント講座の ワークショップです。インドネシアで重要な問題は資金集めと人材育成です。映画の上映を持続的なものにするためにこういう活動を行っています。参加している若者たちに自分たちがやりたい上映会というのをそれぞれ考案もらって発表して、それを実現していくためのプレゼンを行うワークショップです。
 映画祭というのは非常に多いです。これはドキュメンタリー映画祭で、1999年から行われている、古い映画祭です。
 これは同じ建物なんですけれども違う映画祭で、ジョグジャカルタで行われているネットパック映画祭です。インドネシアの作り手と映画ファンが交流する場所です。
 これはジャカルタ国際映画祭です。2番目に古い映画祭と言われています。おすすめは屋外の映画上映。この他に、ショッピングセンターやシネコンでの上映があります。
 ソロの映画祭の様子です。演劇の舞台にスクリーンを立てて、映画が上映できるようにしました。比較的若い映画祭で、2011年から行われています。短編映画の映画祭です。
 商業的な映画の上映にはいろんな制約がありますが、どうやってそれ以外の映画を上映していくのか、上映会が頑張っています。
 商業映画がたくさんあって、インディペンデントの長編もありますけど、短編なども入れると年間400~500本の映画が作られていく中で、上映の機会、会場が足りないですし、配給会社もありません。せっかく作られた映画が上映されるように、私達は一生懸命上映運動をしています。私達がスクリーンムーブしてイベントを行えば、他の人も啓発されて続いてくれると思っています。
 そんな活動を10年間やって来た、その経験を持って日本にやって来ました。」
 インドネシアの現状の説明を頂いたところで、深田晃司監督にマイクが渡り、日本のインディーズ映画の現状、監督として感じている実感をとつとつと訴えてくれました。

「今回はじめて聞くお話ばかりで、インドネシアでの映画の現状を知る貴重な機会になりました。
 インディペンデント映画については、日本のほうが映画館の数が多いだろうし、制作本数も多いんだろうけれども、それでもインディペンデント映画の上映はなかなか難しい状況にあります。メイスクさんのお話を聞いて、インドネシアと日本で共有できる問題点があるのかも知れないと思いました。
 特に、メイスクさんたちが日本のミニシアター文化に驚かれていたのが印象的です。
 日本にはアート映画、インディペンデント映画を積極的に上映してくれる意欲的なミニシアターが全国にあって、その点については日本の映画作家の方が多少は恵まれた状況なのではないか、という気がしました。
 とはいえ、ではインディペンデント映画にとって日本はユートピアなのかというと必ずしもそうとも言えません。
 日本の映画界の興業収入は年間約2000億円で、その大体8割を大手3社が占めています。つまり、残った2割をインディペンデントで奪いあいしている訳です。
 例えば私の映画は大手の映画会社ネットワークにはかからず、基本的には全国のミニシアターを双六のようにぐるぐる回していって、最終的には30館ぐらいでやっていくような形になります。もう少し規模の大きいインディペンデント映画でも70館ぐらいではないかと思います。
 公開できているのだからそれはそれで恵まれた状況であると言えますが、残念ながら例えばミニシアター30館を回して得られる興収は、映画一本の製作費を回収するのにも足りません。
 つまり私達はこの構造の中にいる限り、例えばどうしたってヨーロッパのアート映画の最低ラインである制作費1億円の予算は作れないということになります。2千万、3千万で映画を作り、大変な苦労をすることになります。
 そこには構造的な問題があって、何故いわゆる大手製作会社数社が8割も市場を占有できるのか、そこには各社の企業努力もあると思いますが、映画の製作会社が劇場ネットワークまで直轄で所有している寡占的な構造に負うところは少なからずあるでしょう。例えばアメリカだと、独占禁止法が数十年前に既に適用されていてそういうことはありません。
 私達は自由に映画を作り観せられる状況にあるとも言えるし、一方で構造的な不均衡の中で作っているんじゃないかとも言えるのです。」
 次の予定がある深田監督は心残りがありつつ退場、補足としてキュレーターの藤岡さんが、日本が抱える映画の上映の問題点を説明しました。
「この10年の間で、日本映画の本数は非常に増えています。
 10年前、日本では622本の映画が映画館で公開されました。2013年に公開された映画は1,117本でした。この10年の間で倍増したのです。
 そして観客動員数は約1億5千万人。人口とほぼ同じぐらいで、1年間に一人が1回映画館に行く、というぐらいの数字になっています。でも10年前もほぼ同じでした。
 つまり、平均してみると、一本一本の映画に対しての観客数が減っている、ということになります。
 現在日本ではスクリーン数3,318スクリーンで、およそ85%がシネコンです。
 スクリーン数は増えているけれども、映画館の数は減っています。大都市とベッドタウンに映画館が集中し、小さな町の映画館が減っていっています。
 映画を気軽に見ることの出来ない、映画の空白地帯が増えていると言えます。日常的に映画にアクセスできる人と出来ない人の格差が広がっているのです。」
 ここでシネコンではない、そして自ら作品の配給も行っている(シネコンに比して)異色の映画館、ポレポレ東中野の石川さんにマイクがわたり、深田監督が提示したインディペンデントの制作本数の増加と上映の不均衡について、石川さんの持論が語られました。

「ポレポレ東中野は、新宿から2駅、東中野にあります。
 駅前ですが、住宅街しかないようなところの真ん中に、2003年にオープンして、10年近くになります。
 基本的にドキュメンタリー中心の番組編成ですが、劇映画をやらないというわけではなくて、学生が作った映画、フィクション映画などもやりますし、ピンク映画をやるという試みもやりました。年間40~50本ぐらいの映画を上映しています。
 96席の映画館で、入る時と入らない時がありますが、平均30%ぐらいの稼働率です。稼働率30%ということは、1日5回で、1週間でだいたい千人強ですね。
(注 ジャカルタのアート系ミニシアター「キネフォーラム」は45席で、週末のみの営業)
 先ほどのお話でも、公開本数が増えている、というお話がありましたが、上映がプロジェクターで出来るようになりましたし、昔はポスター・チラシにしてもお金と手間がかかりましたが、今はネット入稿の印刷会社などを利用してなんでも作ることが出来るようになりました。
 今は作り手と劇場が配給会社を通さずに、一緒に配給宣伝をやることが出来ます。そのお陰で上映できる本数は増えてきていると思います。
 もちろんその中で短期しか上映できない物もあったりします。そういう中で、作り手が資金を回収できないという状況もあります。
 劇場として考えればその作品にとって良い上映ができるようになりたいし、してあげたい。
 しかし、制作資金を回収するためには、一日その映画を回さなきゃいけないのか、ということになると、(稼働率)30%としていくら回収するのか、何回回せば回収できるのか、じゃあそれをやりましょうという時は、もっと宣伝費をかけなきゃいけない、もっとお金がかかる、というジレンマもあるんです。
 劇場としてはスカスカの状態で上映を続けたくない。(劇場の)収入の問題がありますし、その映画にとってもガラガラの状態でかけ続けるのも良くないと思うんです。
 何時ぐらいに上映することでターゲットのお客さんが来やすいのか。
 なるべく1週間お祭りみたいにしてやることで、ウチだと1千人しか入らなかったけど、その実績を持って地方を回していく、とかの道もある。
 他の事へつなげていくというか、その最初の発信地として考えてやっていますし、やっていけたらと思っています。」

 いわゆるシネコン、シネマコンプレックスという多スクリーンをもつ大手の劇場チェーンとの差別化について、どのような考えをお持ちなのでしょうか。
「映画館というのは、映画を見に来る人に、体験を売っている、というところがあると思います。
 それは見に来る時に電車に乗り、雨が降っていたり、行くのどうしようかなと迷ったり、それで映画を見て、いろんな気持ちを含めて、家に帰るまでが鑑賞体験だと思うんです。
 その中でどういうインパクトを持ってもらえるのか、どういう気持になってもらえるのか、実際の鑑賞以外のところでももっと(映画の)情報を表現できないかとか、という所にも関わってくる。
 なかなか商業映画の監督っていうのは、映画祭とかテレビじゃないと見れないかもしれないけれど、ポレポレは監督自身が宣伝したりしている映画館なので、なるべく監督に来てもらって、連日生の質疑応答とか、ゲストトークとかで付加価値を体験として感じてもらえるようにしたいと思っています。あそこに行ったら映画見るだけじゃなくて、誰に会える、とか、そういうことを意識してやっています。
 ただ、映画館の一番の存在意義は、常にそこに行ったら映画をやっている、という場所じゃないといけないと思っています。もちろん映画館でライブを見る面白さもあるかもしれない。トークショーをやったり、いろんなことをやるのは大事なんだけど、常にいろんな映画がかかっていることが一番重要で、中心は映画を上映することだと思ってます」
 シネコンとの最大の違いは、流れ作業の中でシステム化された上映の場とはちがう、もっと手作り感のある、手間のかかる場作りであるということなんですねと、キュレーターの藤岡さん。「作品の価値を上げる場所であり、お客さんにとっては経験を得る場所であり、商業的な発想ではない価値を得られる場所なんですね」と。
 両国の映画上映を取り巻く現状を説明したところで、インドネシアの方々が来日以来、どのような場所を視察し、どのような感想を持ったのでしょうか。

 アドリアンさんは、視察に訪れたミニシアター関係者が古典映画に持っている心意気に感銘を受けた様子でした。
「ます訪問したのは、神戸映画資料館です。そこで濱口竜介監督の中編と、インドネシアの監督短編を上映して、上映者と監督とのディスカッションを行ってきました。面白いなと思ったことは、古い映画に対する思いが強い場所だったという点です。
 インドネシアでも古典映画については考えていかなければいけないと思います。インドネシア映画にも長い映画の歴史があります。でも短編、ドキュメンタリー、長編、いずれも過去の映画に上映の機会がありません。
 神戸ではそういうことをディスカッションしてきました。」

 「大阪では、上映スペース・プラネットプラスワンという映画館を見学しました。
 支配人の富岡邦彦さんと長い時間ディスカッションを行いました。富岡さんも古い映画に強い思いをお持ちでした。
 古典映画についてだけではなく、実験映画やオルタナティブ映画の重要性について話をしました。非常に共感したのは、富岡さんが古い映画や普段なかなか見られない映画を上映し続けている理由で、それは特に若い映画作家見てほしい、という思いです。」

 「名古屋シネマテークはナレッジベース(知識の集積場所)でした。図書室があって、本を貸し出したりもしています。
 ここでは平野勇治さんという、長年マネジメントをされている方とお話をしました。ここでもやはり古い映画やオルタナティブな、なかなか上映されないものを上映することの意義を考えさせられましたわけですが、そこには困難があって、我々が重要だと考えていても、それを人に伝えて見に来てもらうということに、大変苦労されている、ということでした。
 こういう異質なもの、一般の人々が日常に見られないものを観てもらうには、非常な苦労があって、その苦労には終わりがない、ということで、これは日本でもインドネシアでも同じだなと感じました。」

 「東京では、アテネ・フランセで、昨日上映がありました。最後の上映のあとにワークショップを行ないました。
 「ラブリー・マン」というインドネシア映画の上映後に、観客が映画について話し合うというワークショップを行い、この映画を日本で上映していくための上映企画、宣伝計画などを考えました。」

 「参加した人達から、いろいろな発想が出てきました。貴重な意見ばかりでした。
 どういう上映でどういう空間で上映していくのか、一般的には気にすることはほとんどありません。考えることもない。
 映画について語られる時はたいてい制作についてです。
 みんなが監督になってしまったら誰が上映するのでしょうか?誰がお客さんになるのか?ということを考えさせられました。
 最終的に映画というのは見られなければ意味が無いのです。その事を考えながらこのワークショップに参加し、観察し、三都市の旅をしてきました。
 マイナーな映画を常設館で上映していく事は、肉体的にも感情的にも現実的にも経営的にも大変であるということがわかりました。
 しかしその活動の御蔭で、働いている皆さん含め、映画との関係性が近くなっているんじゃないか、映画経験が豊かになっているんじゃないか、これこそが今後考えるべきテーマなんじゃないかと思いました。」
 ここで話題は変わって、アート系ミニシアターでかけられる映画、上映会でかけられる映画、それぞれの映画の内容について、藤岡さんが問題提起を促しました。
「昨日、「タリウム少女の毒殺日記」という作品の上映がありました。上映後のトークで、日本のインディペンデントの特徴を掴んでいる監督の土屋豊さんがこうおっしゃっていました。映画館ではない場所で自主上映されていく映画の多くは、ハートウォーミングな作品や、地域おこしとコミュニティづくりに役立つ映画、社会派なドキュメンタリー作品が主で、「タリウム~」のように、自分の母親を毒殺する計画という、現在の生々しい価値観を描いている、毒のある、先鋭的な映画は声がかかりにくい傾向がある。しかしそういうものこそが、映画芸術の可能性を開いて行く先駆けで、未来の商業映画にとっても必要なタイプの映画なのではないか、と私は思います。
 映画の作品のスタイル、多様な映画という観点からは、「絆バンザイ」的な心温まるテイストの作品ばかりが増えてしまったら、社会に対する批評的な目を持っていたり、芸術の先端を攻めていくような映画がなくなってしまうんじゃないか、と危惧します。」
 ポレポレ東中野の石川さん、メイスクプロデューサー、アドリアンさんがそれぞれこの問題について答えました。とくにインドネシアには政府当局の厳しい検閲制度などもあり、熱い訴えだったのが印象的です。
(石川)
「ミニシアター文化っていうのは、ある種日本独特なものだと思います。
 インドネシアの上映のお話を聞いていて思ったのは、ミニシアター文化がある種の弊害というか、たぶん今、日本全国でやられている自主上映っていうのは、そういうハートウォーミングとまでいかなくても、ドキュメンタリーとか、教育映画というか、行政がやったり、地域の人が情報を得るというのが一般的で、ある種勉強的な事で観るというのが多いんだと思います。
 自分たちも自社制作した映画を配給する中でそういう団体に上映してもらうこともあるのですが、1回の上映で500人とか集めてしまいます。
 逆にアート系映画っていうのは、ミニシアターでかかるものって観念があって、特に地方ではお客さんが入るのかどうかということもあって、自主上映でアート系映画をやるっていう文化がそもそも育ちにくいんじゃないでしょうか。」

(メイスク)
「日本のミニシアターと同様、私達の場合はフィルムコミ二ティーやシネクラブなどで行う自主上映の活動は、インドネシア映画の発展にとても重要な事だと思っています。
 忘れてはいけないのは、インドネシアには強い検閲があるからです。商業映画館に映画をかけるためには、当局の審査を受けなければなりません。コミュニティで上映するということは、観客が限定されるという代わり、検閲を受ける必要がないんです。検閲が必要となる領域は一般公開なんです。
 宗教とか民族問題とか差別を扱っているような、タブーをテーマに扱っている作品はコミュニティ上映をすれば、検閲は通さなくてすみます。
 初めての観客を映画に引き合わせるには、コミュニティ上映が必要です。コミュニティ上映は必ず上映後に対話を持つ場があります。それが重要なのです。
 意見交換の場を提供することは、インドネシアのような大きな多様な国では重要な事なのです。
 テーマが敏感なものだけではなく、芸術性が高い、新しい表現という部分でもコミュニティ上映をすることが大事です。お客さんが新しい作家、表現に触れて、刺激され、監督も触発されてまた作り始めるのです」
(アドリアン)
「かねがね、映画というものは、民主主義のバロメーターだと考えてます。上映される映画が多様であればあるほど、それを見る観客というのは違いを受け入れることが出来る、寛容な国民であると思うからです。
 難しい映画や、重い大きな社会問題を扱っているような映画を上映すると、お客さんは少なかったりします。
 しかし、これらをやらなければいけないのだ、と思っています。これは社会に対する責任なのだと思います。
 1998年以前のスハルト政権の時は検閲が大変厳しかった。今も厳しいけれど、昔は特に厳しくて、共産主義者と言われる人々を虐殺した事件について語ることは出来ませんでしたし、マルキシズムとかは検閲されてきました。
 検閲の行き過ぎは、不条理な事態も招きます。例えば、社会的な不平等とか経済格差が写っているというだけで映画が検閲されてしまったり、非常に奇妙な、おかしなことが起きたりします。現実から目を背けさせているような気がしていました。
 その政権が倒れた後、今は状況が変わりまして、コミュニティ上映が増えてきました。かつて検閲されていた映画も上映できます。これまで公の場では話すことも出来なかったような意見が映画を通して観ることが出来るようになりました。例えば同性愛の問題。これまで無いと認知されていたものが、2000年代前半から映画が上映されるようになってきました。当初は10人から20人程度しかお客さんは来ませんでしたが、今は何百万人という規模で同性愛をテーマにした映画も見られるようになりました。
 共産主義者の考えとか、労働運動とか、女性問題とか、不倫の問題とか、これまで映画に描かれなかったことが、描かれて上映されるようになってきました。
 これはインドネシア人の幸福にとって重要な事だと思います。
 こういうテーマを扱った映画があるのなら、お客さんが多くなくても、上映をするべきだ、今はそういう使命感を感じています。」

ここでQ&Aタイム。お客様と熱い議論が交わされました。
(Q&A)
Q:東京で映画の上映に携わっているものです。最大の関心事は、アート系の映画をどう観てもらうか。そうしないと映画の未来がないと思っています。インドネシアのコミュニティではどうやって若い人を集めているんでしょうか?また、石川さんはどのような工夫をされているか教えて下さい。
A:(メイスク)
 私は去年、日本に6ヶ月間滞在しました。その中でアート系ミニシアターを見て思ったのは、映画人口の年齢が高いということです。
 インドネシアのコミュニティに来るのは20代とか学生とか若い人達がほとんどです。写真でお見せしたような上映会を企画しているのが40歳位の上映者なんです。大学でもシネクラブのような定期的に上映しているところがあります。その中で若者たちは会う機会をたくさん作っているようです。
 例えば最近この(ポスターをさし)「ロケットレイン」という映画を企画したんですけれども、この映画の上映は、文化センターのような所と共催の形で2日間のミニフェスティバルとして上映し、6本から7本の映画を集めて上映し、音楽のバンドや飲食店を呼んで、食の文化など、総合的なイベントとしてそれぞれのファンを集めました。」
(石川)
 「うちはアート系映画をメインでやっているわけではありませんが、若い人たちにどう来てもらうか、同じ課題を抱えています。
 最近だと「劇場版テレクラキャノンボール2013」という、もともとアダルトビデオとして作られた映画なんですが、学生もいましたけど、圧倒的に20代から30代の若いサラリーマンの人達が多く見てくれました。
 若い人たちが来てくれた、という作品を見て思うのは、単純に「楽しい」とか、「感動できる」とか、エクスタシーが得られるものに若い人たちが来てくれるという気がします。
 逆に感想が言いづらい、本当に「アート」的なものを若い人たちが面白がれなくなっているということがある気がします。そういう若者もいるんですが。
 個人的に思っているのは、映画館に来る年齢層の高い人達は、長い時間映画館にいた経験があるという人が多いという気がします。入れ替え制がない時代だったり、名画座で3本立てが普通にあったり、一日中あるいは半日中映画館にいつづけた経験のある人が中心なんじゃないでしょうか。
 ミニシアターに来てくれる若い人は、オールナイト上映などで、映画館にずっといてもいい、ずっと見ててもいいし、寝ちゃってもいい、休憩してまた帰ってくるとか、映画館に長くいることを経験している人なのかもしれません。
 なので、(ポレポレでは試しに)入れ替え制を見なおしたり、2本立てをやったり、オールナイト興行をやってみたり、映画館に「ただいる」時間増やすことが重要なんじゃないか、そんなことを考えています。」
(藤岡)
「映画館に通うって習慣性、中毒性がある行動ですよね。中毒に持って行くまでが大変だけど。」

Q:インドネシアで自主上映をしているのはどういう人達なんでしょうか?配給システムがないとおしゃってましたが、製作者と上映者、お客はどういうふうにつながっているのかお聞かせください。
A:(メイスク)上映者にはいろいろな人達がいますけれど、結構大学生が多いです。
 多くがインターネット環境のある、大都市のキャンパスの学生が多いです。
 沢山の人が集まらないと上映会にはならないし、映画を見るという習慣は中流階級の習慣なので、情報という観点からインターネットコネクションがあるということはとても重要です。
 当初上映していたのは、インターネットからダウンロードした海賊版です。それは1990年代から2000年代前半ぐらいまでの状況で、今ではマイノリティなグループの上映も多いです。
 同性愛の団体や、華人の集合体や、労働運動や政治運動の団体などです。映画を利用して自分たちの意見を主張し語り合います。
 例えばある町では映画はとなり町まで行かないと観ることが出来ないんですね。軍隊を引退した人達、あるいはかつて公務員だった人達と、農民です。そういう人達はとなり町までバスで映画を見に行くお金もないんです。そこで地元のアクティビストと学生たちがコラボして、現地語の映画だけを集めて、村から村へ、そういう人達に向けて巡回上映をしたりしました。2ヶ月で20回ぐらい。
Q:製作者と自主上映している人達はインターネットでつながっているの?
A:(メイスク)インドネシア作品の違法ダウンロードは一般的ではありません。映画業界が狭いので、Facebook等のSNSで上映会の告知をすると、制作者に情報が筒抜けなんです。
 つまり逆に言えば、誰かを仲介すれば、すぐにお互いがつながる密な業界なんです。
 熱心な議論は予定の時間を少しオーバーして、ここで本日の目玉(?)、インドネシア大使館のご厚意によるインドネシア料理が会場で振る舞われました。食べなれない南国料理であるはずが、何故か馴染み深く懐かしい味わいで、会場に来た一同はお腹いっぱい食べ、お酒も振る舞われて、会場のあちこちで熱心な映画談義に花が咲きました。
 最後に記念撮影。
 この会場を選んで来て下さったお客様の心に残る、インドネシアと映画にまつわる素晴らしい一日となった。
(レポート:石川学)
(了)
このシンポジウムの様子は動画でもごらんいただけます。→http://youtu.be/lblb0hDmvXA

当日、講演部分の記録動画

© 2020 独立映画鍋 All rights reserved.