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鍋講座Vol.5 「新しい配給宣伝の方法を企む公開作戦会議②」レポート


2013年1月17日(木) 19:30~22:00 アップリンク・ファクトリー
 昨年10月19日に開催した鍋講座「Vol.3 新しい配給宣伝の方法を企む~公開作戦会議①」での「タイトルが覚えにくい」という一言がきっかけで、『GFP BUNNY』改め『タリウム少女の毒殺日記』と変更となった土屋豊監督の新作を題材に、新しい配給宣伝の方法を考える第二弾。「タイトルが覚えにくい」と発言した張本人、中山治美さん(映画ジャーナリスト)と、日本経済新聞文化部編集委員の古賀重樹さんをゲストに、映画鍋としては“悲願”の(!?)本物の「鍋」がアップリンクから振舞われ、会場にキムチの匂いが漂う中での熱い夜となった。

●根底にあるのはコミュニケーション不足


 まず古賀さんが、映画の作り手や配給宣伝側とメディア側の関係性の変化について発言。ここ20年くらいで、実りある関係が不毛な関係へと変わってしまったと指摘した。かつてはインタビュー取材も1時間は当たり前だったが、最近は30分、酷い場合は15分でやってくれと言われるらしい。「売り込む側は媒体が増えてたくさん売り込もうとなっている。でも、普通に人と出会う場合でも初対面の人のことが15分でわかるわけがない。これでは関係性が薄っぺらくなる。」とのこと。また、中山さんは、記事を掲載しても「読みました」がなかったり、メールで感想を要求してきたり、顔を合わせてのコミュニケーションが希薄になっていると指摘した。
 これに対し土屋監督は、宣伝をしてほしい映画関係者側と論じたいメディア側の矛盾について言及。配給宣伝側は何でもいいから露出すればいい、という思いがある一方で、メディア側は宣伝をしているわけではなく取材(批評)をしている、という考え方の違いを問題提起した。

●経済合理性より、まず熱意


 こういったコミュニケーション不足や矛盾の背景にあるのが、経済合理性優先の宣伝方法。90年代初頭からハリウッドの映画宣伝方法が、物流の“大量生産大量消費”と同じく“大量宣伝大量広告”が一般的になり、それと同じことがインディペンデントの世界でも行われているのでは、と古賀さん。「これが今の文化の貧困の核になっている」とバッサリ。そもそも、「芸術家としては自分の思いを伝えてほしい」という熱意がいつからかなくなってしまい、「1時間割いて何文字?どのくらいのスペース?」というスタンスの人が多くなってしまっているとのこと。会場の配給宣伝関係者から、掲載数、掲載文字、掲載面積で宣伝の力量が測られているのが現実、と発言がある中、中山さんは「今回の取材だけではなく、今後につながるための取材でもある。別の機会に活かせることもあるのに、それだけで計られてしまうと寂しい。」と思いを吐露した。

● “切り口”の作り方~宣伝情報が「コンビニのおにぎり」でいいのか?


 経済合理性優先の宣伝方法に付随して、中山さんが指摘したのが単一化される宣伝の“切り口”について。「女性向けとか男性向けとか、そう言う切り口ばかりで、媒体に合わせた提案をしてこない。」これは、古賀さんが冒頭で発言していた「均質な情報が多方面に出るのは、みんながコンビニのおにぎりを食べているのと同じ」に通じる。
 一方で古賀さんは、メディア側の記者の企画力の低下、「映画をどう取り上げるのか」というジャーナリズムの低下についての問題も提起。また「読んでもない新聞に載せたい、という人もいる。映画の記事スペースをいかに確保するかということしか頭になく、売り込むのに媒体を読んでいない人が本当に多い。これは作品も観ないで土屋さんにインタビューするのと同じ。」と指摘した。

●ロッテルダム映画祭では罵倒されるように


 最後に土屋監督が、『タリウム少女の毒殺日記』がロッテルダム映画祭で上映されることを報告し、これを何とかメディアに載せるための作戦を伝授してほしいと懇願。中山さんは「私が望むのは海外の人に罵倒され、けちょんけちょんにされている土屋さん。賛否両論が一番話題になると思う。」と発言。古賀さんは、2000年以降一部の映画祭の扱いが急激に大きくなり、海外の評価に対しやたらと過敏になっているいびつな日本の状況を批判した上で「土屋さんの問いに答えるとしたら、それは夢が小さいよ、と言いたい。世界に評価してもらうことが大切。国内での評価が絶望的な中で海外に出て行ったのに、国内の媒体の小さい欄にのせるなんてちっちゃい。」
 これに対し、最後に土屋監督が一言。「まぁ、ロッテルダムの後で書かせてやってもいいですけど。」
今回は『タリウム少女の毒殺日記』が中心的な議論ではなく、宣伝をしてほしい映画関係者側と論じたいメディア側の矛盾や、経済合理性重視の宣伝方法の問題点が主なトピックとなった。講座終盤で映画祭の話題が出たときに、「ロッテルダム映画祭で倉持さんに制服を着てもらうかどうかが一番の悩み」と語っていた土屋監督。果たして最終判断は?現在開催中のロッテルダム映画祭会場からの写真リポートでご確認いただきたい。
(文責:高木祥衣)
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